管理人の勝手なトーク

レックスとスーパーマンが過去は親友だったという話は実際のアメコミで過去に設定があったのですが、十数年前にスーパーマンのお話が再構成されて、そのときに親友設定が消えたそうです。
親友設定だったときの諍いのきっかけは、レックスが化学実験中に火事を起こし、すでにスモールビルでスーパーボーイとして活躍してたクラークが消し止める、が、その消火活動のときに浴びてしまった化学薬品のせいでレックスは髪の毛を失い、その容姿のせいで家族から見捨てられた、と。
今回のスモールビルは、そういう過去に一度消えた設定を復活させ、現代のアメリカにふさわしい異端の能力を持ってはいるが普通の青年の成長を描こうとしてます。

ですがネタバレなしでちょっと第三シーズンまで目をやってみると、どうやらアメリカの視聴者の中には、クラークよりレックスに好感を持ってる人が目立ちます。数の多さではなく言葉どおり「目立つ」と言う意味です。
アメリカ人はヒーローが好きだと思っていたので、これはとても意外でした。日本には昔からアンチヒーローに肩入れする文化があり、ダーティな人物に人気が出ることもありますけどね。
各フォーラムやサイトを見ると、彼らはどうやらレックスが本物の悪にはならないかもしれない、という希望を抱いているようです。例えスーパーマンの敵になってもです。なぜでしょうか。

このドラマが始まる直前、9.11事件がありました。アメリカは、スーパーマンは本当はいない、誰かがアメリカを攻撃しようと思えば怖がらずにできてしまうんだ、という事実に直面しました。
だからこそ、このドラマ開始は熱狂的な支持を受けたのでしょう。
隕石の襲来(9・11)の中からスーパーマン(強いアメリカ)が育っていく。それは希望だったかもしれません。
しかし、そうではありませんでした。スーパーマンも「スーパーマン」になるまでは、多くの苦い経験を積んできたというお話だったのです。
かわりに一部の視聴者は、自分達の姿をレックスに見いだします。

第三シーズンが終わったいま感じるのは、SMALLVILLEでレックスというキャラクターがうち立てつつある敵役の姿は、実は外なる敵ではなく、アメリカ人そのものなのかもしれないということです。
これまで「スーパーマン」は正義と力のアメリカの象徴でした。けれどSMALLVILLEではまだまだクラークは精神的に幼く、将来あのスーパーマンになるとは想像がつかない印象です。自分自身は秘密を持っているのに相手に対して正直であることを望み、なにかにつけて友人を疑う主人公は、視聴者を当惑させました。

同時に、シーズンが進むにつれて、悪役になるはずのレックス・ルーサーの孤独が浮き彫りとなりました。
裕福で、愛情を求めていて、正しいことをしようと努めているのにライオネルの名前(国の名前)のためになかなか理解されない、世界に対するアメリカ市民の姿がそこにありました。。
確固たる信念を持って動くライオネル(国)ではない。あくまでレックス(アメリカ市民)。エイリアン(外国人)=クラーク。
第三シーズン半ばから後半にかけてクラークが理解不能な言動や反応をするのも、エイリアンだから、まったく違う文化を持った相手だから仕方がない、と考えることもできます。
そして、クラークのスーパーマンへの成長物語は孤独な若者の青春物語であるとともに、ほんの数百年前から移民によって作られてきたアメリカ合衆国市民の「アメリカ人になる過程」なのかもしれません。
○○系アメリカ人という言葉がけっこうよく聞かれる国で、クリプトンにまだアイデンティティの一部があるクラークは、「いかに心身ともにアメリカ市民になるか」という国への忠誠心と市民性の確立のバランス例とも考えられます。最後には彼は「国」(ジョー・エルが望んだ支配)ではなく、一アメリカ市民となるのですから。
レックスの場合は「個の確立」が高じてしまい、誰の意見も受け入れない「正義の人(アメリカ)」になってしまいます。(原作コミックで彼は大統領になっています)

けれどレックスがそこに至る理由を、視聴者はいまではよくわかっています。
愛されない子供が手にするものはなんなのか、秘密を互いに持った友情がなにをもたらすのか、価値観の違いがなにをもたらすのか、それが正しいかどうかは誰が判断するのか。
クラークとレックスの間になにが足りなかったのか。

現在第六シーズンまで構想はある、と、アル&マイルズは各インタビューで答えています。
ラストを目撃するのが、楽しみなような、悲しいような気がします。


アイドック 拝
初出:2004年8月発行「SMALLVILLE DAYS vol.01」
改稿:2004年11月14日